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上杉謙信公墓

上杉謙信公の墓 上杉謙信公の墓
松平忠昌公の寄進状写し 松平忠昌公の寄進状写し

 岩殿山のすぐ裏の山(飯縄山)は、戦国時代の名将上杉謙信の居城・春日山城の北に位置し、眼下に日本海を一望できるため、 ここに沖見城(沖見の砦)を建てて戦いに備えていました。
 また、謙信公は毘沙門天や当山の本尊大日如来に厚く帰依をし、たびたび当山をご参拝されておりました。 謙信公は生前、自分の墓を林泉寺と岩殿山に置くようご遺言されたため、当山にも上杉謙信公の墓所が置かれております。
 時は経ち、上杉景勝公は会津へ移封になります。
 江戸時代に入ると、高田藩主の松平忠昌は家老の永見志摩守に命じて、謙信公の菩提を弔うため、 岩殿山に12石地(約1ヘクタール)を永代寄進し、墓を末永く守るようにとの寄付状を授与しました。 現在、その手紙の写しが残されておりますが、実物の所在は不明です。
 当山の謙信公墓は、長く存在場所が分かりませんでしたが、 平成3年の本堂改築の際、古い本堂の縁の下から、梵字が彫られた謙信公の五輪塔の一部が発見されました。 現在、この五輪塔は復元され、上杉謙信公のお墓として本堂の横にお祀りしております。